遺跡復元事業 |
前方部の復元 |
前方部は、築造当時の葺石が残っているところはそのまま保存し、葺石の残っていないところは落下した石を集めて葺きなおし、築造当時の姿に復元しました。
また、東・西隅は電車の軌道で切断されているため復元できませんでした。
葺石の復元にあたっては、石の下に水はけをよくするための砂をひいたところ(南面・西面)と、石をコンクリートで固定したところ(東西)と2つの工法が採用されています。 |
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後円部の整備 |
後円部は、造られたときの形を保護するため、築造当時の形の上に盛土を行い、浸透水を防止するため、その上に石灰と真砂土を混合した土でおおい、石を噴き上げています。そのため、後円部には、排水施設がほとんど造られていません。前方部と違った工法を採用したため、築造当時の形よりも後円部全体が50p高くなっています。また、後円部に使用した葺石は、新しく購入したものです。
整備にあたっては、古墳の表面の調査に重点を置いたため、埋葬施設の調査は行っていません。江戸時代の文献によると、石棺が見えていたと記されています。 |
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下段と堀の整備 |
下段は、直径5〜10pの石が葺かれていました。復元してもすぐ落下してしまうおそれがあったため、築造当時の葺石の上に盛土をして芝張りを行いました。
堀は、築造当時も空堀で、復元は不可能で法面に芝張りを行うにとどめました。 |
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埴輪列の復元 |
五色塚古墳は、上段・中段の小段と墳頂の3段に埴輪が並べられていました。いずれも10mに18本の割合でたてられており、古墳全体では2200本もの埴輪がめぐらされていたと推定されます。
埴輪の大部分は鰭付円筒埴輪で数本に1本の割合で朝顔形の埴輪がたてられていました。
埴輪列の復元にあたっては、後円部墳頂のみに鰭付円筒埴輪と朝顔形埴輪を合成樹脂で復元した埴輪をめぐらせました。
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堀の中にあるマウンドの整備 |
前方部と後円部が接するあたりの東側の堀の中に1辺約20m・高さ1,5mの方形のマウンドがあり、斜面には石が葺かれていました。葺石の上からは土師器、須恵器、埴輪などの破片が発見されています。
後円部の東側にも、外側から堀の中にむかって方形に突き出た部分がつくられており、ここからは円筒棺が2個発見されています。ほとんど地山を掘り残してつくられており、斜面には石が葺かれていました。〈北東マウンド〉
整備にあたっては、両マウンドとも下段と同じ小さな石で葺かれていたため、斜面を芝でおおっています。 |
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小壷古墳の整備 |
小壷古墳は、2段に築かれた円墳で、斜面には石が葺かれていませんでしたが、墳頂と小段(テラス)に埴輪がめぐっていました。埴輪は、五色塚古墳と同質、同形の鰭付円筒埴輪が多く、家形埴輪も3個体分発見されています。
整備にあたっては、古墳の裾が道路までひろがっているため、小段をつくらず、石が葺かれていたところから、墳丘全体に芝張りを行いました。 |